ポントカサルテ水道橋

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これは英国でもっとも長くもっとも高い水路橋である。1796年から1805年にかけて、ルアボンおよびシュロップシャーからマージ―川に至る運河を築く大プロジェクト(未完に終わった)の一部として建設された。

水道橋の名前は、ウェールズ語の「カサルティ cysylltu (結ぶ)」と「ポントpont (橋)」 から生まれた。発音を聞くには、こちらをクリック。 download mp3 (21KB)

pontcysyllteこの建造物は、石造りの高い橋脚と、その上に渡された鋳鉄製のトラフ(溝型の水路)から成る。長さ307メートルの水道橋は、ディー川の上39メートルの高さに架けられている。この橋を歩いて渡れば、ディー川上流のスランゴスレン付近から引きこまれた運河の水が、東へ流れる川の上を横切って、南に向かっているのが見渡せる。水道橋の歩道は、もともとは水路をいくボートを引っぱる馬のために作られたものだった。歩道の反対側には、水路用の鋳鉄製トラフとその低い壁面があるだけだ。ディー川を真下に眺めるスリルを味わいながら、ナローボートに乗って水道橋を渡ることができる。

この水道橋は一般に、エルズミア運河プロジェクトの作業を監督したトマス・テルフォードの功績とされているが、それがはっきり認められたのは何十年も後のことだった。というのも当初は、運河主任技師ウィリアム・ジェソップが、ダービーシャーで製鉄工場にも関わってきて鉄橋建設に習熟していたこともあり、この水道橋建設の中心人物と見なされていたからだ。おそらく、ポントカサルテ水道橋の構想は、ジェソップとテルフォードの二人によって進展したもので、先行する水道橋を参考にしたり、アメリカ人技師にも助けられたことであろう。運河や水道橋の歴史をもっと知りたい方は、脚注を参照してください。

橋梁で使用された鉄材は、近くのプラス・キナストン・エステートで鋳造された。製鉄所のオーナーであるウィリアム・ヘイズルダインは運河計画の発起人の一人であった。エルズミア運河はトレヴァー盆地から北に延びるはずであったが、いくつかの丘が立ちはだかり、鉄道の急速な発達があったりで、計画は挫折した。運河への水の供給は当初はスランゴスレンより先の峡谷沿いで行われる計画であったが、最終的にその区間にはほぼ全て、船の航行が可能な運河が築かれた。第二次世界大戦中に、ロンドン、ミッドランド&スコティシュ鉄道は、同社が受けついでいた運河の多くの運行を止めたが、エルズミア運河はすでに水の重要な分配機能の一つとなっていた。今日でも、ポントカサルテ水道橋は、飲料水をチェシャーのナントウィッチにほど近いハーレストン貯水池に送り込むシステムの一部である。

1950年代にエルズミア運河のこの部分は、観光目的の利用が増えたことを反映して、スランゴスレン運河と名前を変えた。2009年、スランゴスレン運河は、国連の世界遺産に指定された。現在、その運営は運河・河川トラストに委任されている。

脚注:ポントカサルテの起源

翻訳:藤沢邦子

地図

Llangollen Canal on CRT website

 

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