セント・ペブリグ教会、カーナーヴォン

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13世紀に、<最後のウェールズ大公>サウェリンが、この教会をアベルコンウィ修道院に寄進した。現在の建物は基本的には14世紀に改修されたもので、塔は15世紀から16世紀にかけて増築された。その他の改修は、1894年の大修復など、後の世紀に行なわれた。

セント・ペブリグ教会は今もスランベブリグの教区教会である。14世紀にカーナーヴォン城壁内にセント・メリー教会がセント・ペブリグ教会のチャペル・オブ・イーズ(教区教会に従属する分会堂)として建設された。ここには14世紀の貴重な彩色写本『スランベブリグ時祷書』が伝わっていて、それは現在ウェールズ国立図書館に保管されている。時祷書とは、一般信者が家庭で決まった時刻に礼拝を行なうよう祈祷文や典礼作法をまとめ、また聖人の日を祝うカレンダーがついた信仰生活の手引書であった。

ペブリグはウェールズ語ではピブリシウスと発音する。彼の父はマクセン・ウレディク(ローマ皇帝マグヌス・マキシマス、ca 335-388)で、母はウェールズの首長の娘ヘレン。伝承によれば、マクセンは夢の中で美しい乙女を見染め、彼女を探し出すために使者をローマから諸国に遣わした。ある使者がスノードニアにたどりついたとき、付近の山や谷はマクセンが夢で見たものと一致しており、彼らはついに乙女ヘレンを見つけた。彼女はもし皇帝が自分に恋をしているなら、自らここ北ウェールズまで来て娶ってほしいと言った。この物語は『マビノギオン』の第5話「マクセンの夢」として語り伝えられている。

マクセンは383年から戦没する388年までローマ帝国西部を支配した。 マクセンとペブリグの父子は、ローマ軍の要塞地セゴンティウム(カーナーヴォン郊外)で暮らしていた時期があり、その遺跡はこの教会のやや西に現存する。ペブリグがここに433年に教会を建てたと言われる。教会に隣接する大きな墓地は、元々はローマ軍の埋葬地であったようだ。

教会墓地への主要な門のそばには、1825年に建てられた元墓守人の小屋がある。

翻訳: 藤沢邦子

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