アングルシー・アームズ、カーナーヴォン

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アングルシー・アームズ、カーナーヴォン

18世紀、このパブ/ホテルがあった場所には、税関があった。CADW(ウェールズ政府の歴史的建造物保存部門)は、税関が建設されたのは1736年と示唆している。メナイ海峡沿いの埠頭は、カーナーヴォンを囲む市壁と隣接していて、輸入品がこの町に入ってくる主要な地点だった。役人たちは、到着する荷物に課される正規の税金を確保するべく、目を光らせていた。

1838年、税関の役人たちは、小さな帆船を所有していた地元の貿易商ボアズ・プリチャードを逮捕した。カーナーヴォンの住民たちは、夜はおばけ霊柩車に出くわすのを恐れて表に出なかった。その霊柩車を見た者は不運に見舞われると言われていたからだ。役人たちがプリチャードの倉庫に踏み込んだその夜、彼らはそこで99樽の密輸ブランディと、なんと1台の霊柩車と棺桶1つを発見した。

19世紀の最初の30年ほどの間に、カーナーヴォン城の南に、サイオント川に沿って新しい埠頭が造られた。この地方の鉱物資源(主としてスレート)の輸出が急速に増えており、それに対処するためだった。やがて観光業も盛んになり、古い埠頭は観光客が水辺を散策してアングルシー島を見渡す人気スポットになっていった。そして19世紀の半ばまでには、メナイ海峡に面する税関は、アングルシー・アームズ・ホテルに変身していた。建物は大々的に改修され、19世紀後半には増築されたが、元々の税関の一部は今も残っているという。

1887年、アングルシー・アームズ・パブの支配人ジョン・ロバーツ船長は、彼の帆船エミリー・ウィン号の売却をめぐって、船舶仲買人デイヴィッド・ウィリアムズに訴えられた。ウィリアムズは、自分は売却価格275ポンド10シリングの5%を手数料として得る権利があると主張したが、カーナーヴォン郡裁判所は、2.5%の手数料が妥当と裁定した。

アングルシー・アームズ・ホテルは、カーナーヴォン市壁内のかつて処刑場だった塔の近くにあり、この塔は「首吊りの塔」と呼ばれていた。ホテルにはいたずらな幽霊たちが出没し、グラスを棚から移動させて遊んでいたという。グラスは空中に浮かんでから落下したが、決して壊れることはなかった。2階の泊り客は、誰もいないのに寝室のドアの鍵が回る音を聞くなど、不思議な現象を経験したらしい。

郵便番号: LL55 1SG    地図

この地域の幽霊が出るHiPoints:
メナイ・ブリッジのアングルシー・アームズ - この馬車宿には、小柄な老人の幽霊が出るという。
カペル・キリグのコブデン・ホテル – 往年の有名なクリケット選手(フランク・キャロル・コブデン)の独身の姉妹の幽霊が出る。

翻訳: 藤沢邦子

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