ガンター家の元邸宅、クロス街37-40、アバーガベニー

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この建物はかつて、当地の有力者ガンター家の人々が住んでいた邸宅である。写真は1900年頃に撮影されたもの。その一部は16世紀に建てられた。〈パロット・イン〉という宿屋だった時期もあり、現在、一階には数軒の商店が入っている。建物内の天井には美しい装飾が施されている。2015年に、考古学者らがこの建物の裏手でローマン・ブリテン時代(43-410AD)の街道の残片を発見した。近くにはローマ軍の要塞があった。

Photo of Gunter mansion, Abergavenny, c190017世紀の宗教改革のころ、トマス・ガンターは自邸の屋根裏部屋を、禁じられていたローマ・カトリック (旧教) のための礼拝堂に設えた。デイヴィッド・ルイス師ら2人のイエズス会神父が、そこで地元のカトリック信者のためにミサを執りおこなった。カトリック教徒はみな死刑を含む処罰を受ける時代だったが、トマス・ガンターはプロテスタント(新教)に改宗することを拒んだ。「神父狩り」を稼業とするジョン・アーノルドは、1678年に議会で、ガンター邸の外壁にイエズス会の印を見つけたと証言している。

デイヴィッド・ルイス神父は、モンマスシャーとヘレフォードシャーのカトリック教徒に秘跡を授けるとき、ガンター邸を拠点としていた。彼は1678年にスランタルナムでミサの準備をしていたときに逮捕された。そして カトリック教徒である罪およびミサを行なった罪で、1679年、絞首刑の後、はらわたを引出し、体を四つ裂きにするという残酷な刑に処された。その遺体は、法律に逆らって、アースクの教会墓地に埋葬された。ルイス神父は1929年に福者の列に、1970年に聖者の列に加えられた。ウェールズとイングランドの40人の殉教者の1人である。

ジェームズ・ガンターは1554年にモンマスシャーを代表する議会議員になったが、1558年に死亡。彼はアバーガベニー小修道院を購入していた。その小修道院に住んでいた別のジェームズ・ガンターが、1712年に同じ地区のための議会議員に選ばれたが、わずか6カ月後に死亡した。

Photo of ornate ceiling in Gunter mansionウォルター・ガンターが、ここに住んだガンター家の最後の一人だ。彼の妹のアン・ガンターはロンドンに移住して、ドメニコ・ネグリと結婚したからだ。小説家ジェーン・オースティンの伝えたところによると、ネグリ夫妻はお菓子とアイスクリームで有名となる店をバークレー・スクエアで始めた。ドメニコの死後はアンが事業を続け、後に甥のジェームス・ガンターが共同経営者になった。アンの死後、ジェームズが事業を継ぎ、この店は1956年まで大いに繁栄した。

2016年、ウェールズ・ジョージアン・トラストはクラウドファンディングに成功し、ガンター邸を取得・修復するプロジェクトのための資金を、ナショナル・へりテージ・メモリアル基金およびピルグリム・トラストから受けることになった。

翻訳:藤沢邦子

郵便番号 NP7 9ER  所在地の地図

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