ローマ軍のカノヴィウム砦があった地、カイルヒン

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カイルヒンにある教会 は、かつてカノヴィウムと呼ばれていたローマ軍補助部隊の砦跡の北西の角にある。教会の庭は、兵舎があった場所であろうと考えられている。砦跡とコンウィ川の間にある野原には、ローマ式浴場の遺構がある。カノヴィウムは500人の補助部隊の基地で、これらの兵士は属州で徴募された非ローマ人部族であり、ローマ正規軍の前面または側面で戦った。

Photo of Roman game
© サンディドゥノ博物館

砦はコンウィ川を制する要衝の位置にあり、ローマ時代前の道路および、ディーヴァ(現チェスター)からセゴンティウム(現カーナーヴォン)に至るローマ街道に沿っている。カイルヒンの西あたりで、ローマ街道は先史時代からの道路を大いに活用している。

街道の目的の一つは、アングル―シー島におけるローマ軍のケルト諸部族との長引く戦いに援軍を送ることにあった。最終的に、ローマ軍は77年頃にアングルシーを制圧した。

当初、カノヴィウム砦は土塁と木材でできていた。2世紀の中頃、砦は敷地を広げて石造りに建てなおされ、17棟の建物と四隅に見張り塔をもつものになった。北門の近くに2つの食糧貯蔵庫があり、川と陸の両方から物資を補給できた。敷地内には、水を沸かす竃付きの浴場もあった。砦の外には木造の建物が並び、そこには民間人が住んで小規模な商業活動をしていた。ローマ兵の家族の一部もそこに住んでいたかもしれない。

Photo of Roman tile with footprint
© サンディドゥノ博物館

1920年代の発掘で、カノヴィウムの規模とレイアウトが明らかになった。考古学者たちは、コイン、宝飾品、陶器の破片、遺灰用の壺、ゲーム盤と駒(右上の写真)、子供の足跡が残るタイル片(左の写真)など多数の出土品を得た。これら出土品の多くはサンディドゥノ博物館で展示されている。写真は同博物館からの提供。

翻訳: 藤沢邦子

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