ヴィクトリア時代の監房(キャッスル・ハウス内)、カーマーゼン

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キャッスル・ハウス内にはヴィクトリア時代の監房が2室あり、内部を見学できる。ここは逮捕されて裁判が始まるまで、容疑者が一時的に勾留される場所だった。有罪とされた者は、ここからカーマーゼン城址内に建てられた大きな刑務所に移されるか、または別の牢獄に送られた。刑務所で処刑される者もいた。

キャッスル・ハウスは警察の留置場として1860年頃に完成した。そこにはかつてカーマーゼン城の外壁と内壁の間に施療所があった。今では地元の観光案内所であるキャッスル・ハウスが開いているときは、監房を見学できる。監房の一つには照明設備がなく、見学者はそこに閉じ込められた人の気持ちを察することができるだろう。

Mugshots on page of Carmarthen Record of Felons監内の壁には、カーマーゼン重罪犯台帳に残された犯人や容疑者の顔写真が展示され、ここで扱われた事件を今に伝える。刑務所長ジョージ・スティーブンスは、写真という新技術を使って犯人や容疑者を公的に記録することの有用さを、世界に先駆けて認識した人であった。犯罪者の多くは再犯を犯したり、捕まったときに偽名を使いがちだが、顔写真によって、警察当局は彼らに別名での前科があるかどうかを確認できるようになったのだ。

写真技術に精通したスティーブンスは、レベッカ暴動(下記参照)の鎮圧を助けるべくカーマーゼンに赴任するまでは、ロンドン警視庁に勤務していた。以後33年間、彼はこの町の刑務所を統括し、1897年に81才で亡くなった。  

最初に顔写真を撮られた重罪人はジェームズ・ジョーンズで、殺人未遂で1858年に絞首刑にされた織物職人だった。これらの写真は1867年の重罪犯台帳からのもので、容疑者の顔写真のそばに、彼らの個人データと、起訴された罪状が記載されている。

翻訳: 藤沢邦子

郵便番号: SA31 1JP    地図をみる

レベッカ暴動: 1839年から44年にかけて南西ウェールズで起きた暴動。貧しい庶民の生活を苦しめる公道に課された通行料に対する、農民や労働者による抗議行動だった。暴徒の多くは女性に偽装して、料金所や通行遮断ゲートを破壊した。暴動のリーダーは「レベッカ」と呼ばれ、従う者たちは「レベッカの娘たち」と呼ばれた。その理由は? 一説によれば、最初の襲撃のリーダーがレベッカという大柄な女性の服を借りて着用したからだという。また、「レベッカの子孫は敵の門を勝ち取るだろう」という聖書の言葉にあやかったのだという説もある。

レベッカ暴動で捕えられた者たちは、この監房に留置された。