聖デニオール大聖堂、バンゴール

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これは英国で最古の大聖堂であり、525年頃、ケルト・キリスト教のクラス(clas 中世ウェールズ独自の修道院と学舎の中間のような教会共同体)に、聖デニオールにより創建されたものを起源とする。

彼は、グウィネッズの王マエルグウンに与えられた土地に、自分のクラス(clas)のための囲い地を作ったと考えられている。周囲の地面に杭を打ちめぐらし、杭の間に樹木の枝葉を編み込んで「バンゴール」という垣根を作った(それ故、これはバンゴール大聖堂とも呼ばれた)。 そして囲い地内には、聖職者やその家族により、小屋や独居房が建てられた。

bangor_cathedral

現在の建物は(この写真は1890年代に撮影された)、ノルマン人の侵攻で破壊されたあと、12世紀初めに再建されたものだ。その後の1188年、ジェラルド・オヴ・ウェールズやカンタベリー大司教ボールドウィンが、第三次十字軍の募兵のためにウェールズを訪れた。彼らはバンゴールに一泊し、グウィオン司教に歓待された。

ジェラルドの旅行記は、ボールドウィンが大聖堂の主祭壇で、朝のミサを執り行なったと記録している。ボールドウィン達はグウィオン司教に十字軍への参加を懇請し、グウィオンは最終的に承諾した。集まっていた会衆はこれに驚き、司教が海外で危難に遭うであろうと心配し、男も女も号泣したという。

その後も大聖堂にはさまざまな改修がなされ、特に16世紀初頭には、身廊と西の鐘塔が増築された。歴史家で動物学者のトマス・ペナント(1770年代に当地を訪問)によると、大聖堂は1071年にはサクソン人により、また1402年にはオワイン・グリンドゥールの反乱軍により破壊され、その後90年ほど放置されていた。

ペナントによると、その大聖堂の身廊と塔を1532年に建設したのはトマス・スケヴィントン司教である。司教は1年後にハンプシャーで亡くなるとき、自分の心臓を取り出して、バンゴール大聖堂の聖デニオールの像の前に埋葬するよう指示していた。スケヴィントン司教の死によって、塔の高さを2倍にするという彼の計画は実現しなかったという。

下のバンゴール市および大聖堂の絵(国立ウェールズ図書館提供)は、ペナントの『ウェールズ旅行8巻』のために作成されたもの。

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19世紀後半の修復を監督したのは、サー・ジョージ・ギルバート・スコットである。彼は、聖堂の最古から残っている部分を研究したのち、袖廊窓などの中世的な特徴を再現した。彼もまた塔を構想していたが、屋根よりずっと高い塔を築くには資金が足りなかった。

1950年代には、塔のための資金は集まったものの、技術者たちが、この土地はさらなる石造物の重さには耐えられないだろうと警告した。その代わりに、塔の基底部になるはずだった部分には、装飾的な狭間胸壁や、ピラミッド型屋根や、高い風向計が誂えられた。

内部の特筆すべきものとしては、磔刑になる直前の縛られた等身大のイエス像がある。これは15世紀またはそれ以前に制作されたもので、かつてはコンウェイ渓谷スランルストにある聖グルスト教会に飾られていた。

翻訳: 藤沢邦子

郵便番号: LL57 1LH    所在地の地図

大聖堂ウェブサイト

トマス・ペナントの『ウェールズ旅行』をもっと見る ‐国立ウェールズ図書館のウェブサイト

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