〈ハンブリー・アームズ〉、カエルレオン

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Link to English text〈ハンブリー・アームズ〉、アスクサイド

アスク川岸辺にあるこの建物は、1565年頃に建てられた。その構造は、裏側の部分の再建(おそらく18世紀)と、19世紀初めに窓を改築した以外は、昔とほとんど変わっていない。当初の窓の開口部は、いまも2階部分に見ることができる。これは有力者モルガン家のタウンハウスとして建てられ、もともとは<グリンドゥール館Tŷ Glyndŵr>と呼ばれていた。モルガン家は、過去何世紀にもわたり、このあたりに大きな領土をもつ一族であった。

かつてこの館の羽板張りの一室で、治安判事が地元の訴訟事件を審理した時期があり、罪人たちは13世紀からあった塔に投獄されたという。パブに繋がっているこの小さな塔の来歴は、定かでない。

Old photo of the Hanbury Armsやがて17世紀に、この館は、アスク川埠頭に近い便利な場所にあったので、〈ハンブリー・アームズ〉という名の宿屋になった。そして小型船が、この埠頭からブリストルやサマセットまで航行した。18世紀にクウムブラン地方産の鉱物を埠頭まで運搬する軌道ができてから、船や人の往来はさらに増えた。

1856年、アルフレッド・テニスン卿が〈ハンブリー・アームズ〉に逗留し、長い物語詩『国王牧歌Idylls of the King 』を書いた。この詩はアーサー王と円卓の騎士の伝説に着想を得たものである。円卓は付近のカエルレオンの古代ローマ遺跡の円形劇場にあったという説があり、テニスンの詩にはカエルレオンという言葉が数回くりかえされている。詩には、この地域にある塔についての言及もあるが、その塔はアーサー王の時代よりずっと後に建てられたものだ。テニスンの滞在した部屋は、いまも当時のまま保存されている。

アーサー王伝説については、ウェールズで生まれ、後のヨーロッパのアーサー王文学に大きな影響を与えた2つの文献がある:口承文学の至宝『マビノギオンMabinogion』と、ジェフリー・オブ・モンマス著『ブリタニア列王史 Historia Regum Britaniae』だ。前者については藤沢邦子の日本語ブログ で概要をお読みいただける。アーサー王とマーリンが活躍する後者についてはこちらを参照。

翻訳: 藤沢邦子

郵便番号 NP18 1AA    地図

ウェブサイト The Hanbury Arms