元職工学校、ニース

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この建物は1847年にニース職工学校の恒久施設として建設された。 設計したのは偉大な博物学者、探検家、地質学者、人類学者、生物学者であったアルフレッド・ラッセル・ウォレス。進化論といえば一般的にはチャールズ・ダーウィンを思い浮かべるが、ウォレスは進化論形成における先駆者の一人であった。現在、ここはニース好古協会の文書館である。

職工学校は、地元の人々に教育や読書の機会を提供するために、1843年10月に市庁舎に開設された。多くの事業者が、従業員をこの学校の夜間クラスに出席させようと、毎週火曜と金曜には商店や工場を午後8時に終業した。

1846年8月、「将来の学習活動に使うために、ウォレス氏が設計する新しい建物を作る計画」を職工学校が了承したという記録が残っている。建設費用は約600ポンド。上の階には講義室があり、下の階には読書室や図書室があった。科学や美術工芸のクラスがあり、毎年、優秀な女性や男性には賞が与えられた。1890年に賞の対象になったのは、自在画法の絵画、透視画、機械の制作、「蒸気」、化学、数学、「音、光、熱」などであった。

ウォレスは同校の最初期の関係者の一人として、ここで物理を講義した。彼は1823年にウスクで生まれ、1841年から48年までニースに住んでいた。その頃の生物学への彼の関心は情熱へと発展し、彼の最初の学術論文(1847年)は、ニース渓谷に生息するカブトムシに関するものだった。1848年、彼は遠いブラジルやマレー諸島やインドネシアへ探検に赴き、それらの地での見聞により、彼独自の進化論を形成していった。

彼は自分の採集や探検について数冊の旅行記を出版している。1858年、チャールズ・ダーウィンの友人らが、ウォレスとダーウィンが別々に研究してきた進化論を世に出そうと、合同講演会を開いた。しかし20世紀の初めになると、ウォレスや他の学者らが進化論の研究に果たした役割が見過ごされ、今では進化論といえば専らダーウィンの偉業と見なされがちだ。

2001年以降、この元職工学校の建物は、ニース好古協会(前身は1834年に設立されたニース哲学協会)の本拠地となり、公記録や古文書や歴史資料を保管している。建物も文書館も一般公開されているが、開館日の詳細については下記のリンクを参照。

郵便コード SA11 3LL    所在地の地図

ニース好古協会のウェブサイト

翻訳: 藤沢邦子