聖ウィニフレッドの井戸、フリントシャー、北ウェールズ

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聖ウィニフレッドの井戸、フリントシャー、北ウェールズ

1300年以上も昔から、この井戸は巡礼地であった。英国の他のどこにも、これほど長く、人々を惹きつけてきた巡礼地はない。ウィニフレッド(ウェールズ語ではグウェンブレウィ。発音はこちら は7世紀の聖女で、聖バイノの姪である。彼女の一族は、この井戸に因んで現在ではホーリーウェル(聖なる井戸)とよばれる村に住んでいた。

言い伝えによれば、ウィニフレッドが首長の息子カラドッグの求愛をはねつけたとき、彼は怒って彼女の首を刎ねた。首は坂を転がりおち、止まったところから泉が湧きだして井戸となった。知らせを受けたバイノは礼拝を中断してかけつけ、胴体のそばに彼女の首を置いて、祈った。すると首がつながり、ウィニフレッドは生き返った。首の周りには細い白い傷痕が残っただけだった。その後、彼女は信仰に生涯を捧げた。

ホーリーウェルからグウィネッズに戻る前に、聖バイノはとある石に腰掛けて(現在その石は屋外の水浴プールのそばにある)、「神に祈り、ウィニフレッドの名前を唱える人は、恩寵を受けて魂が救われるであろう」と説いたという。ウィニフレッドは長年ホーリーウェルに住んでいたが、後にもっと奥地のグイセリンに移住した。そこはサクソン人の攻撃が少なかったからである。

ほどなくホーリーウェルの泉は、癒しの奇蹟で名高い巡礼地となった。今あなたが目にしているユニークな聖堂と「泉のチャペル」は、1500年頃に建てられたもの。これらの建物は、ヘンリー・チューダーがバラ戦争を終結させて1485年に英国王ヘンリー7世となった後に、彼の母マーガレット・ボーフォートが資金を出して建設したとされる。「泉のチャペル」の壁面の一部は外に開放されていて、チャペルの身廊は2階にある。

井戸は今もローマカトリック教会巡礼地の一つであるが、どのような宗教の人あるいは無宗教の人も、歓迎される。2005年、この泉の元管理者であった人の自宅だったヴィクトリア時代の建物が、博物館兼図書館としてオープンされた。展示物には、「ウィニフレッドの柩」として知られる800年頃の聖遺物箱などがある。これはウェールズの聖人に直接関係する、最古の品だと考えられている。

他には17世紀の聖杯用ヴェールも展示され、これには聖ウィニフレッドが描かれ、メアリー・ボデナムという名前が記されている。メアリーは、1606年、義父サー・ロジャー・ボデナムの病気がこの井戸で治癒されたことを目の当たりにして、刺繍を施したヴェールで感謝を捧げたのだ。同じ時代の子ども用ボディス(胴着)もあり、当時の庶民の服装を垣間見せてくれる貴重な品である。これが残っているのは、宗教戦争の時代に、新教徒(プロテスタント)への改宗を拒んで殉教した旧教徒(カトリック)の遺品を包むために使用されたからだった。

写真、詳しい歴史、見学日時、巡礼者がプールで水浴できる時間などについては、「聖ウィニフレッドの井戸ウェブサイト」を参照。

翻訳: 藤沢邦子

郵便番号 CH8 7PN    地図  

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