カーディフ・アームズ・パーク
このスタジアムの名前は世界のラグビー界で有名である。ウェールズ代表チーム(レッド・ドラゴンズ)は、1969年まではここでホーム試合を行なっていた。カーディフ・ラグビー・フットボール・クラブ(CRFC)は、今もここを本拠地としている。
この地域を流れるタフ川は、しばしば洪水を起こしてきた。1849年、イザムバード・キングダム・ブルネル(産業革命時代の機械・土木の技術者)が洪水を防ぐために川を迂回させ、かつ東西をつなぐ鉄道駅(現在のカーディフ中央駅)のための広い用地を造成した。
ビュート侯爵家はこの埋立地の大部分を、カーディフ市民が余暇やスポーツを楽しめるようにと寄付した。そこはカーディフ・アームズ・ホテル(後に取り壊され、現在はエンジェル・ホテル)の裏にあったので、カーディフ・アームズ・パークと呼ばれるようになった。当初、パークの北にはクリケット・グラウンドがあり、南にはラグビー・グラウンドがあった。クリケットの観客用に1881年に初めて設けられたスタンド席は、もっぱら女性と子供のためのものだった。カーディフ・アスレチック・クラブが所有するこの場所では、ラグビーとクリケットだけでなく、運動競技、サッカー、グレーハウンド・レース、テニス、英国式野球、ボクシング等のスポーツ大会が開かれてきた。また、ラグビー・グラウンドの北にはボウリング用グリーンもあり、カーディフ・アスレチック・ボウルズ・クラブが拠点として使っている。
1872年に第三代ビュート侯爵の結婚を祝うために、運動競技やアクロバット曲芸を見物して楽しむ一日が催された。記録によれば、これは観客がお金を払う初めてのスポーツ・イベントだった。1876年、ラグビーのグラモーガン・クラブとカーディフ・ワンダラーズが合併して、CRFCが誕生した。彼らの最初の競技試合は、1876年12月2日にウェントルージ・マーシュズ(カーディフ市の東)で行なわれ、対戦相手はニューポートだった。最初のホームでの定期試合はソフィア・ガーデンズで行なわれたが、彼らはまもなく本拠地を少し南のここカーディフ・アームズ・パークに移すことになった。
その後、カーディフ・アームズ・パークは、1958年コモンウェルズ・ゲームズ(英連邦総合競技大会)など様々な国際試合の舞台にもなってきた。
1969年までに、クリケット・グラウンドはソフィア・ガーデンズに移され、その跡地に現在のカーディフ・アームズ・パークが建設された。そして、当初のラグビー・グラウンドの跡地に、2番目のラグビー・スタジアム(ナショナル・スタジアム)が建設され、ウェールズ代表チームの本拠地となった。ナショナル・スタジアムは1999年に同じ場所にミレニアム・スタジアムとして建て替えられ、2016年1月にプリンシパリティ・スタジアムと改名された。
CRFCの本拠地たるカーディフ・アームズ・パークの栄光としては、1953年のNZのオール・ブラックスに対する8対3の勝利、そして1907年の南アフリカのスプリングボックスに対する17対0という大勝利などが挙げられよう。
翻訳: 藤沢邦子
郵便番号 CF10 1JA 所在地の地図