エレン・エドワーズ記念板、カーナーヴォン

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caernarfon_elen_edwards元霊安所の壁にあるこのスレートの記念板は、1000人以上の船員に海洋航海術を教えたエレン・エドワーズ女史(1810-1889)を称えるものだ。この肖像画はグイネッズ文書記録物保管所のご好意により掲載されている。

エレンはアングルシー島アムルフで生まれた。船長だった彼女の父ウィリアム・フランシスは1804年に海から陸に上がり、港町アムルフに航海術の学校を開いた。エレンは父の指導の下に、航海のさまざまな知識を習得した。

1830年、彼女は急成長していた港町カーナーヴォンに移住し、まもなくニューストリート3番地に学校を開いた。そして海の男を目指す人々にその職業に必要な主要科目を教えた。1833年にオーエン・エドワーズ船長と結婚したが、彼は1860年に海で亡くなった。

彼女の生徒はカーナーヴォン、アングルシー島、スリン半島などの広い地域からやってきた。1850年代、60年代、70年代にかけて、彼女の学校の生徒は毎年30人ほど、イングランド、スコットランド、そしてアイルランドの海洋委員会での資格試験に合格していた。なんと、当時、ウェールズには海洋委員会が一つも無かったのだ! カーナーヴォンに最も近い試験会場はアイルランドのダブリンだった。彼女の娘のエレン・フランシス・エドワーズもまた船長と結婚して、学校運営を助けた。

エレン・エドワーズは生涯にわたり、「聡明な女性で、卓越した航海術に習熟しており、大型船を指揮できる優れた船員を何人も育てた」と高く評価されていた。エレンが70歳になったとき、カーナーヴォン港湾トラストは、彼女に名誉年金を与えるよう政府に働きかけた。しかし、彼女がロイヤル報奨金基金から受け取ったのは75ポンドに過ぎなかった。

彼女は79歳で、タイスバーン通り13番地の家で死去した。新聞は「エレンは60年もの長きにわたり優れた船員を育成した、北ウェールズきっての教師であった」と記している。

エレンを称える記念板は、かつて町の霊安室を擁していた建物に掛けられている。この建物はヴィクトリア・ドックが1860年代に開設された頃に建てられたもので、1980年半ばから2000年代にかけては海洋博物館だったが、後に隣接するマリーナの利用者に使われるようになった。

記事協力: カーナーヴォン・シビック協会のクライヴ・ジェームズ

翻訳: 藤沢邦子

郵便番号 LL55 1SR   所在地の地図

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