ゴルセッズ・ストーンサークル、南東ウェールズのアベルガヴェニー

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スワン・メドウズのストーンサークル(環状列石)は先史時代の遺跡に見えるかもしれないが、実は1912年に造られたもの! 1913年8月にベイリー・パークで開催されたアイステッズヴォド全国大会(National Eisteddfod)における、ゴルセッズ・セレモニーのために建造されたのである。8月8日(金曜日)の式典で、ゴルセッズ・オブ・バーズは、ウェールズ社会に貢献した12人を選んで「名誉の位」を授けた。

Photo of Gorsedd stone circle at Abergavenny このアイステッズヴォドは文句なしの成功だったわけではない。来場者は前年のレクサム大会よりずっと少なく、赤字であった。婦人参政権運動家たちによる騒ぎが、アイステッズヴォド主催者にとって心配の種でもあった。8月7日未明、会場の大テント付近で燃えていた干し草のかたわらで、「女性に選挙権を!」と書かれたプラカードが発見された。しかし、女性活動家たちは、「炭坑夫たち」に手荒く扱われたり侮辱されることを望まず、この祭典には近づかないことを選んだようである。
2001年、ゴルセッズ・ストーンサークルは、かつて設置されていたモンマス・ロードのザ・グローヴから、ここスワン・メドウズへと移設された。

ゴルセッズ・オブ・バーズ(「吟遊詩人の玉座」を意味する集団)は、1792年、エドワード・ウィリアムズ(吟遊詩人名イオロ・モルガンヌグとしてより有名)によって、ロンドンで初めて招集された。詩人、過激にウェールズの伝統文化を愛した男、そしてアヘン中毒者であったモルガンヌグは、ゴルセッズや「ドルイド僧」といった彼の空想の産物を、古代ケルトの歴史に由来するものだと人々に納得させるために、偽の詩歌や古文書まで捏造した。

Photo of Welsh traditional costume1819年、地域アイステッズヴォドの開催に合わせてゴルセッズ・セレモニーを行なうべく、彼はカーマーゼンにドルイド祭祀場を模した小さなストーンサークルを建造した。それ以来、ゴルセッズはアイステッズヴォド、特にその全国大会と深いつながりをもつようになった。そして今なお毎年8月、ゴルセッズを中核とする国民的な芸術祭で、詩人、歌手や舞踊家、ハープなどの楽器奏者、美術家らが技芸を競うのである。このようなストーンサークルは、2005年まではアイステッズヴォド全国大会の開催地ごとに建造された。しかし近年は、コスト削減のためにプラスチック製レプリカが導入され、次の開催地に運ばれて再利用されている。

イオロ・モルガンヌグの後援者の一人、グリンリー夫人は、アヴェルガヴェニーの住人ウォディントンの親友であった。このウォディントン夫人の娘が、後にスァノーヴェル男爵夫人オーガスタ・ホール(1802-1896)となって、ヴィクトリア時代にアイステッズヴォドを後援し、ウェールズ文化と学芸の振興に尽した。1834年、彼女は「グラモーガンの蜜蜂」を意味するグウェニネン・グウェントという吟遊詩人名でアイステッズヴォドに出場し、ウェールズ語と「民族衣装」の保存に関する論文で賞をえた。こうして彼女は「ウェールズ婦人」の衣装を発明することになったのだった。

アイステッズヴォドについてもっと詳しく知るには、ここをクリックして、廣野史子さんのウェブサイトをご覧ください。

翻訳、補筆: 藤沢邦子

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