リヴァプール・アームズとカナン通り、メナイ・ブリッジ

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〈リヴァプール・アームズ〉というこのパブの店名は、メナイ吊橋ができる前にイングランドのリヴァプールとアングルシー島のメナイ・ブリッジの間を小型蒸気船が行き来していた時代の名残りである。乗客たちは、セント・ジョージ定期蒸気船会社が所有するセント・ジョージ桟橋で下船し、近くの〈リヴァプール・アームズ〉で飲んでくつろいだのだった。1835年の船賃は、船室を利用するなら10シリング6ペンス、甲板で過ごすなら5シリング。

<リヴァプール・アームズ>の表のセント・ジョージ通りは、1970年代にサー・カナン・エヴァンズ-ジョーンズ(1895-1970)CBEを讃えて、カナン通り(Ffordd Cynan)というウェールズ語の別名も与えられた。CBE(英帝国勲爵士)の称号を授与されたサー・カナンが、1932年から<リヴァプール・アームズ>にほど近いペンマエンに住んでいたからである。本名はアルバート・エヴァンズ‐ジョーンズだが、彼は<カナン>という詩人としてのペンネーム(bardic name)でウェールズ中にひろく知られていた。プースヘリの出身で、詩人、劇作家、牧師、脚本家、プロデューサー、ページェント(野外劇や祝祭の催し)の演出家、バンゴール大学・学外教育研究部門の講師など、多彩な経歴をもつ。1969年にはナイトに叙されている。

彼はアイステッズヴォド全国大会においても、式典を司るアークドルイドを2度務めるなど重要な存在であった。そして、この伝統的な文芸と音楽の祭典の機構と運営を近代化するために、多大なエネルギーと想像力を注いだのである。文学者としては3度のクラウン(自由律詩部門の優勝者への冠)と、1度のチェア(押韻律詩部門の優勝者への木製椅子。詩人の長の座を象徴している)を勝ちとり、後にウェールズでもっとも著名な審査員の一人となった。彼はまたドラマ部門でも優勝している。カナンの墓は、メナイ・ブリッジのチャーチ・アイランド(Ynys Tysilio)にある。

カナン通りの反対の端には、ヘレン・ローランズ地区がある。この地名は、女性宣教師で、インドのベンガル語と文化についても造詣の深い学者でもあったローランズの名に因むものである。

翻訳・補筆: 藤沢邦子 

郵便番号 LL59 5EY    地図

 

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