小説家エセル・リナ・ホワイトの生家、アべルガヴェニー
エセル・リナ・ホワイトは、1876年にウィリアム&エリザ・ホワイト夫妻の間に、フログモア通りのこの建物で生まれた。彼女はアガサ・クリスティやドロシー・L・セイヤーズと肩を並べる、英米でもっとも有名なミステリ作家の一人となった。.
父ウィリアムは建設業者だった。彼はセメントやアスファルトの実験を重ねて、「耐湿性に優れた壁を作り、またその強度をます方法を改良して」、1881年に特許を取得した。事業の成功により、彼はベルモントロードに新しい家「フェアリア・グランデ」を購入し、一家でそこに引っ越した。1911年の国勢調査のとき、エセルは35歳でまだそこに住んでいた。
第一次世界大戦中のある時期、年金省で働いていたこともあるが、彼女は生涯にわたり作家として生計をたてていた。が、有名になったのは60代になって、1937年の The Wheel Spins が大ヒットした後のことである。本作は1938年にアルフレッド・ヒッチコックにより 『バルカン超特急 (The Lady Vanishes)』 という題で映画化された。 The Midnight House という小説 は、『見えないもの (The Unseen)』 という題で映画化された。さらに、『らせん階段 (The Spiral Staircase)』 という映画は、別の小説 Some Must Watch に基づいていた。
邦訳書が2冊ある。
· 『バルカン超特急: 消えた女』(原題 The Lady Vanishes)
· 『らせん階段』(原題 Some Must Watch)。
エセルは1944年、ロンドンで没した。
出版社ペンギン・ブックスが1950年代に伝えるところによれば、「彼女の本は、ぶきみな物語の傑作として世界的に認められ、エドガー・アラン・ポーとも比肩される作家だった」。また 「彼女は、スリラーは巧みに書かれるなければならないという強い信念をもち、自分が納得するまで、原稿を書いたり書き直したりした」という。
翻訳: 藤沢邦子
記事協力: ウィメンズ・アーカイブ・ウェールズのキャロライン・フェアクロー
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