Owain Glyndwr Hotel, Corwen

Link to English textオワイン・グリンドゥール・ホテル、コルウェン

Old photo of Corwen square and Owain Glyndwr Hotelこの建物は、1789年に初めて一般公開されたアイステッズヴォドの主会場として、ウェールズ文化史において大きな役割を果たした。それ以前のアイステッズヴォドは、必要水準に達した者だけにバルド(職業詩人)の資格を認定するための、詩人と審査人の集会であった。それが1789年、この会場で、一般人も入場し審査の進行を見物できるようになったのである。その意味で、その集会は、毎年8月に15万人の観客を惹きつけ、全国の視聴者のためにテレビ中継される、現在のアイステッズヴォド全国大会(音楽と文芸の国民的祭典)の先駆けであった。

古い絵葉書の写真は、右側にホテルのある広場を示している。ホテル従業員の写真は、1871年にジョン・トマスが撮影したもの(ウェールズ国立図書館提供)。それはイタリア風ポーチが増築される前の玄関であり、使いこまれた石の階段がいくつかみられる。

Photo of employees of the Owain Glyndwr Hotel in 1871ホテルの正面玄関は19世紀初めに造られたものであり、当時、ロンドンからホリヘッドへの道路が改善されて、多くの宿屋は繁盛していた。正面玄関の背後あたりがこの建物のより古い部分で、18世紀にはその宿屋は<ニュー・イン>と呼ばれていた。そして1854年、旅行作家ジョージ・ボロウはここに昼時の一杯を求めて立ち寄り、「その由来にふさわしく、宿屋は<オーエン・グレンダワー>という名であった」と記している。なぜなら、そこはかつてオワイン・グリンドゥールの領地でいちばんの町のいちばんの旅籠だったのだ。近年に作られたグリンドゥール像が、宿から通りを隔てた広場に立っている。

さらに後年の旅行作家チャールズ・G・ハーパーは、1902年に出版された本で、宿の看板として18世紀の旅人の注目を集めていたという「サラセン帝国のサルタンのごとき猛々しく巨大なグリンドゥールの肖像」が失われて久しいと述べている。

このホテルにはまた、聖職者との不幸な恋に破れた女性の幽霊が出没するという話が伝わっている。

翻訳: 藤沢邦子 (日本カムリ学会会員)

郵便番号 LL21 0DL    地図  

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