スレート採掘場ストライキの記念碑、ベセスダ、北ウェールズ
スレート採掘場ストライキの記念碑、ベセスダ、北ウェールズ
このスレート石板は、3年という長きに及んだペンリン・スレート採掘場ストライキの始まった年から100年の節目を記念して、2000年にここに設置された。
ベセスダのすぐ南にある巨大なスレート鉱山の持ち主は、スレート輸出とサトウキビ輸入で財を成したペンリン卿だった。彼の邸宅ペンリン城は、現在はナショナル・トラストの所有物で、一般公開されている。 19世紀、この採掘場では経営陣と労働者との間で争議が続いていた。1896年、スト破りの労働者を運ぼうとしていた列車を脱線させる企てがあり、そのあと鉱山のヴェリン・ヴァウル・スレート加工場で働いていた労働者が60人ほどの暴漢に襲撃された。紛争はやがて1900年11月22日に全面ストライキに発展し、1903年11月まで続いた。
ストライキ中、何百人ものスレート採石工夫がこの地域を離れた。多くが南ウェールズの石炭炭鉱に仕事を求めた。ベセスダの生活環境は厳しいものとなり、二人の地元女性がバンゴールで生活のために売春をして有罪とされるほどだった。
ベセスダに残ったスト参加者とその家族は、英国各地から支援を受けた。アシュトン・アンダー・リン(ランカシャー)のある会社は、重さ2.5トン(!)というクリスマス・プディングを彼らに送った。地元の子ども達は、その後何年も、巨大なプディングをもらった喜びを歌い継いできた。2014年、ダブリン・オグウェン小学校の生徒たちは、音楽教師ヘヴィン・エヴァンズの指導のもと、その歌を録音した。音声はこちら
歌詞は以下のとおり。「ヤング」というのは、嫌われ者の採掘場支配人E・A・ヤングのこと。有名な讃美歌 『Wele cawsom Y meseia 見よ、メシアが我らのもとに来たれり』 のパロディで、一行目の ym Methesda (in Bethesda)は、讃美歌の y Meseia (the messiahメシア) との、発音の類似を活用している。
Wele cawsom ym Methesda
Y pwdin gorau gaed erio’d.
Chlywodd Young nag Arglwydd Penrhyn
Ddim amdano cyn ei ddod.
Pwdin yw, du ei liw,
Y gorau brofodd neb yn fyw.
See, we had in Bethesda
The best pudding ever.
Young and Lord Penrhyn heard
Nothing of it in advance.
It’s a pudding, black in colour,
The best that anyone alive tasted.
見よ、ベセスダに至高のプディングがやってきた。
ヤング支配人とペンリン卿は、その到来を予想もしなかった。
それは黒いプディング。
人みなが味わったうちで、いちばん素晴らしいプディング
翻訳: 藤沢邦子
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