ローマ軍要塞の跡地、アバーガベニー

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drawing of roman fort

この駐車場は、紀元55年~57年頃に古代ローマ軍が築いた要塞があった場所である。ここに住んでいた勇猛なシルリア族を制圧するべく、アバーガベニー要塞は、アースクやブレコンの要塞とも連携していた。続く200年の間に、この要塞は何回も再建された。右の図は、要塞はこのような姿であっただろうというサリー・デーヴィスによる復元図である(アバーガベニー博物館のご好意で掲載)。

発掘により、2つの兵舎区画、窓ガラス片、粘土弾投石器の貯蔵庫などが見つかった。金属の出土品としては、ロリカ・セグメンタタに使われていた葉形蝶番3つがあった。ロリカ・セグメンタタとは、1世紀後半にローマ軍兵士が着用していた典型的な板金鎧である。

drawing of belt hook

オーチャード・サイト発掘現場からは非常にめずらしい青銅のみごとな留め具が出土し、それにはケルト文様が施されていた。これは裕福な兵士が剣帯を締めるために使っていたものだ。左図はケヴィン・ブロックリーが描いたもので、アバーガベニー博物館の許可を得て掲載している。

ここではまた、鎖帷子(チェインメイル)の材料である金属リングや、1世紀半ばの馬具も多数生産されていた。発見されたこれらの品々は、軽装備の補助騎兵が使っていたものだろう。なお、欧州においては古代ケルト人が鎖帷子を最初に考案したとされる。

ローマ軍の陶器やコイン、その他のいろいろな発見物が、アバーガベニー博物館やウェールズ国立博物館に展示されている。ローマ人はキャッスル・メドウズを横切って流れるアースク川に、その急傾斜の川岸からごみを捨てていたからだ。駐車場の後方の塀から見渡すと、要塞がアースク川の船の航行を管理していたことがわかる。左の方では、ガベニー川がアースク川に合流している。ローマ人はアバーガベニーを「ゴバンニアGobannia (ガベニー川のほとりの地)」と呼んでいた。ここで説明するように、どちらの地名もガベニー川に由来する。

2015年、考古学者らは長らく不明だったローマ街道の名残りをここアバーガベニーで発見し、その一部がクロス街にあったガンター家の元邸宅の後方で発掘された。そこは1825年から1863年の間、羊の市場が開かれていた場所でもあった。それ以前は動物は街路で売買されており、それによる無秩序や不都合について町民から苦情が出ていた。それを受けて、町の行政委員会ははじめて限定区画内での市場開催を定めたのである。1863年、羊市場はマーケット・ストリートの端の家畜市場に移された。

 

寄稿: ジル・ウェークリー、アバーガベニー郷土史協会

翻訳: 藤沢邦子

郵便番号: NP7 5EE    所在地の地図

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