王室侍医の元住居、アベラストウィス

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button_lang_english王室侍医の元住居、アベラストウィス

現在の<ザ・グレンガワー>の建物の半分は、ヴィクトリア時代の一流産科医で、ウェールズ国立図書館の初代館長だったサー・ジョン・ウィリアムズ(1840-1926)のかつての住居であった。

<ザ・グレンガワー>は、古い二つの屋敷からできている。北端の家(道路から見ると左側)は1870年ごろ建てられ、昔は<スノードン・ハウス>と呼ばれていた。その家は、所有者のケンジット夫人が1882年に、〈ザ・グレンガワー〉の右半分のもっと大きな屋敷である〈オーシャン・ヴュー〉に転居するまでは、下宿屋/簡易宿泊所であった。後に〈オーシャン・ヴュー〉は、アベラストウィスの北のスレート採石鉱山の所有者であり、一時は町長でもあった石屋の親方ジョン・ジェンキンズの住居になった。 

Portrait of Sir John Williams

1908年、サー・ジョン・ウィリアムズ(写真)が、競売で〈スノードン・ハウス〉を1530ポンドで購入し、カマーデンシャーのグウィンヴェにあった生家〈ブラエンサナント〉に因んで、これを<ブラエン・サナント>という名前に変えた。その頃は、ウィリアムズ医師は創設期のウェールズ国立図書館の責任者でもあり、図書館の収蔵コレクションの一つとして、自分の貴重な書物や写本を多数寄付していた。そして1926年に亡くなったときは、寄付金および蔵書の残りすべてを図書館に遺贈した。

1915年には、彼はウェールズ語の新聞や雑誌を通じて、第一次大戦のために軍事訓練を受けている若者のための図書館設立を呼びかけ、ウェールズ語の本の寄贈および寄付金を募った。

1894年、彼は産科医としての業績に対して、ナイトに叙された。彼の患者の一人が皇太子妃メアリー(後のジョージ5世王妃)だったので、彼は「未来の英国王(エドワード8世)の誕生」に関わったという。1915年には、王立医師会(RSM)の会員に選ばれた。

21世紀になって、サー・ジョン・ウィリアムズは「切り裂きジャック」(1888年にロンドンを震撼させた連続殺人犯)だったという憶測が流れたことがある! 女性被害者らの体が解剖のプロのやり方で切り裂かれていたかららしい。

1980年代に隣接する家が合体されて<ザ・グレンガワー>となり、その後何年も、学生たちに人気のナイトクラブだった。2001年に現在のオーナーが購入し、海辺のパブ/ホテルとして再びオープンされた。

郵便番号 SY23 2DH      地図はこちら

ザ・グレンガワー〉のウェブサイト

翻訳: 藤沢邦子

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