旧グランドホテル、ウェストゲート通り、カーディフ

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グランドホテルは1886年に建てられた。現在のウェストゲート通りは、かつてはカーディフ港湾区域だった。ホテルは埠頭のそばにあった〈馬と馬丁〉と〈赤い牝牛〉という2軒のパブにとって代ったもので、1891年に、厩や付属建築物をひっくるめて、2000ポンドで競売された。

 このホテルでは初期の職種別組合の集会がよく開かれた。1909年2月にはユダヤ人仕立屋協会のメンバーが集まって、カーディフ支部の再編について会議を開いている。

ホテルはまたスポーツ関係の社交の場としても人気があり、1890年代にはカーディフ・サイクリング・クラブがここで、スモーキング・コンサートを開いた。サイクリスト達は煙草をくゆらせながら音楽を楽しんだ。1893年、新しく支配人となったストーキー夫人は、「当ホテルは、フットボール遠征チームにとって最高の宿泊施設」という宣伝広告を出している。

1894年、ラグビー選手のシドニー・ニコルズがホテルの株を取得して、7年間経営に関わった。当時、ラグビーユニオンはアマチュア競技であり、選手たちは生活費をフィールド以外で稼ぐ必要があったのだ。シドニーはカーディフとウェールズ代表の両方でフォワードとして活躍したが、弟のグウィン・ニコルズほどの栄光は残せなかった。シドニーは1901年にハルに転居し、同市のラグビーリーグでプレーした。

Photo of Grand Hotel manager 1908

1908年1月のある夜、支配人のロッサー夫人は、午前3時頃ホテルのバーの火事に気付いた。彼女の娘リリアン(6歳、写真)を含む10人が3階にいて、階段にうずまく煙から逃げ遅れそうになった。しかし消防隊が上の階の窓から全員を救出した。

1917年、初期の女性ラグビー試合のひとつが、カーディフ・アームズ・パークで行なわれ、カーディフとニューポートのチームが対戦した。グランドホテルは女性選手らの更衣室としてかっこうの場所とみなされた。カーディフRFCの歴史家によると、カーディフ・チーム(主として地元のハンコック醸造の従業員)のキャプテンはミス・E・カートン。彼女は後にグランドホテルの従業員となり、人びとに親しまれた。

グランドホテルが閉鎖されてから、それは22室のアパートと商業施設に改装された。建物の一部は今ではマンゴー・ハウスというインド料理店となり、ニューポートの東のマゴールにもレストランを構えて繁盛している。

翻訳: 藤沢邦子

郵便番号CF10 1DD      所在地の地図

マンゴー・ハウスのウェブサイト

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