英国が最後に侵攻された場所、スランウンダ、フィシュガード

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このコーストパスの下の浜辺は、1797年に、外国軍が英国侵攻のために上陸した最後の地である。その侵攻は、地元民のしたたかな奮闘のおかげで、長続きしなかった。上陸した敵兵が多量の酒を見つけ、酔いつぶれたおかげだという説もある!

この1797年のフィシュガード港の絵は、ウェールズ国立図書館の許可を得て掲載したもの。

英国とフランスはすでに4年ほど戦争をしており、1797年2月22日、4隻のフランス軍艦がスランウンダにやってきた。この町の貧弱な装備の砦からがんがん撃ってくる空砲に騙されて、フランス軍はフィシュガード港に上陸する気を失った。

Drawing of Fishguard harbour in 1797それでも、約1200人のフランス兵は、武器、弾薬を携えて、スランウンダに上陸した。侵攻軍の兵士たちは地元の農家を接収し、本部とした(彼らはそこで多量の酒を見つけた。ペンブロックシャーの2人の貴族が約600人の地元民を率いて、フランス軍に抵抗した。両軍がグッドウイック海岸で交戦を始めるや、フランス側がすぐに降伏した。 降伏文書は<ロイヤル・オーク>で署名されたという。小競りあいで、地元民と兵士が6人死んだ。

フランス兵は、赤い服と黒い帽子という姿の英国兵の多さに怖れをなした。だが、この英国兵のなかには、ウェールズの民族衣装を着た女性がたくさん混じっていた。彼女らはその地域で育つ地衣類を使って赤く染めた伝統的な外衣をまとって、戦っていたのだ。なかでも靴職人の妻ジャミマ・ニコラスは、干し草積み用のフォークだけを武器に12人ものフランス兵を捉えて、勇名をとどろかせた。

この事件の背景には、間接的にアメリカ独立戦争(1775-1783)がからんでいた。フランスの上陸部隊は、アイルランド系アメリカ人のウィリアム・テイトに指揮されていた。アイルランド人の彼はもともと英国人と闘っていたのだが、ニューオルリンズ(当時フランス領)の帰属をめぐるフランスの試みに関与したあと、アメリカに亡命していたのだった。

侵攻部隊に反撃した地元民兵を率いたのは、トマス・ノックスである。彼はアメリカで植民地政務に関わっていた英国最後の次官ウイリアム・ノックスの息子だった。ウィリアムはジョージアで黒人奴隷をつかって米を生産して財を成していたが、アメリカ独立のあと富を失った。英国に戻ってから、彼はぺンブロックシャーに土地を買い、フィッシュガード付近のスランスティナンに邸宅を買った。彼は奴隷制廃止に反対しつづけた、それこそがアフリカ人をクリスチャンに改宗させる方法と考えていたからだ。

戦争協力のために、ウィリアムは1794年に フィッシュガードとニューポートで志願歩兵を集めた。フランスが侵攻してきたとき、トマスはそのうちの194人を連れて、ニューポートからフィッシュガードへと進軍した。

侵攻200年を記念する1997年に、地元の婦人たちがこの物語を伝える巨大なタペストリを制作した。それは、このタペストリ専用に建てられたフィシュガードのギャラリーで見学できる。

郵便番号 SA65 9HA    所在地の地図

翻訳: 藤沢邦子

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